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Dec 13 / 2013
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教育委員会の廃止、学校長の権限を強化、大学入試改革を!100の行動48 文部科学2

初稿執筆日:2013年12月13日

第二稿執筆日:2015年12月3日

 世界のトップレベルの高等教育を受けようと、新興国を中心に世界中から毎年70万人の学生が米国に留学する。世界最高水準の大学が数多く存在する米国が、今後も世界経済の牽引役であり続けることは想像に難くない。

 しかし、そのアメリカでも教育改革は政府の最重要課題として進められている。

 アメリカでは、公立学校に競争原理を導入し、成績不振の学校の閉鎖や能力の低い教師の解雇、優秀な教員の厚遇等を可能としている。ブッシュ政権で策定された落ちこぼれ防止法(NCLB法)によって各州の学校には学力向上目標が課された。その結果、学校は生徒の学習状況を管理するシステムをつくり、テストの成績、授業での発言頻度、宿題の内容、提出状況等をデータベース化している。保護者もシステムへアクセスして、子どもの学習状況の情報を得ることが可能になった。

 世界一の教育大国アメリカで熱心な教育改革が行われているのだから、日本ではそれ以上の改革が必要であろう。今後は、先の「行動」にて論じた大学改革に加えて、高校までの教育改革を真剣に取り組まなければならない。

 2012年に文科大臣に就任された下村大臣は、真っ先に大学受験改革を実施した。素晴らしい方向性だと思う。下村大臣とともに、さらなる改革を実現していきたいものである。

大学入試には複数回実施のテストを導入し、全人格的な成長を測る面接を導入せよ!

  「諸悪の根源は、大学入試の方法だ」というのが筆者の見解だ。子供の中学入試の願書を提出した時に愕然としたことをよく覚えている。願書に書いてあるのは、受験番号、氏名と小学校名程度だ。「すべてペーパー試験で決めますよ」と言う意思表示である。小学校時代に囲碁で全国優勝しようが、サッカーで活躍しようが全く関係ないのだ。

 なぜ、関係ないのか? それは、一流大学の受験でもペーパー試験のみで合格・不合格が決まり、そこに入る人数によって中高一貫校の評価が決まるからである。その中学受験のために、小学校3年生から塾に通っているのだ。この実情が良いと思っている人は、ほとんどいないであろう。社会に出てからは、ペーパーテストで評価をされることは無い。どちらかと言うと全人格的な能力によって評価が確定する。だが、大学受験がペーパー試験だから、中学受験の方法を変更できないのだ。まさに、大学受験が諸悪の根源だと思っている。

 その大学入試に関しては、1回勝負/知識偏重の1点刻みの評価という批判は大昔からある。また、本来の趣旨と異なり、事実上学力不問の選抜になっている一部の推薦・AO(アドミッション・オフィス)入試が、大学入学後の学生の学力低下、学習意欲低下に繋がっているとの批判も多くなってきている。

 政府は、現在の大学入試センター試験に代わる、複数回実施される「達成度テスト」の導入を提言している。高等学校の教育課程における基礎的・共通的な教科・科目について、高等学校在学中に複数回受験できる仕組みになる予定だ。

 アメリカやイギリスでは、大学受験に際して年に複数回の共通テストを受けることが可能な制度となっている。アメリカでは、SATとACTという2つの共通テストがあり、SATは年7回、ACTは年6回受験できる。ハーバード大学などの難関私立大学は、共通テストの成績に加えて推薦状やエッセイ、面接などで選抜を行っている。

 日本においても、テストの実施機関や運営などの課題はあろうが、導入する達成度テストについては、なるべく多くの受験機会を可能とするのが望ましい。また、ペーパーテストによる知識偏重ではなく、学生の行動力や志、コミュニケーション能力やプレゼンテーション能力を評価するために、大学入試担当の職員を増やし、推薦状やエッセイ、面接などを取り入れるべきであろう。また、行動50文部科学4において詳述するように、大学受験の英語試験はTOEFLに統一化することが最も合理的だ。

教育委員会を廃止し、国と自治体の責任と役割の強化を!

 日本の初等中等教育における責任の所在が、どこにあるのかを曖昧にさせ、学校経営の障害となっているのが、教育委員会の存在だといえる。

 日本における教育委員会という制度は、戦前の中央集権的・国家主義的教育の反省から、米国教育使節団の報告等に基づき戦後教育改革で設置されたものだ。「政治的中立の確保」や「地域住民の意向の反映」を実現するために、首長が指名した5名程度の委員からなる教育委員会が地方行政による教育を監督することになっている。その教育委員会に、形式上教職員の人事、教育方針、教科書の採択などの決定権限が付されている。

 しかし、そういった権限を有効に行使している教育委員会はほとんどなく、責任の所在が曖昧であり、審議も形骸化しているのが実態だ。また、いじめ問題などが発覚した際の対応能力、危機管理能力の無さも昨今のニュースで垣間みられるところである。

 そもそも、非常勤の委員の合議体である教育委員会に教育の責任と権限を与えることには無理があろう。統計を見ると、全国の教育委員会では、月1回程度の委員会開催が大多数である。ちなみに、委員の報酬は、都道府県や政令指定都市の教育委員会の場合、月額で平均20万~30万円だ。

 今では教育委員会委員の多くが教育関係者OBであったり、関係者OBの天下り先的な側面もあったりで名誉職化している。その結果、教育委員会は形骸化し、行政側が作成した案を追認するような機関に過ぎなくなっている。教育委員会制度は廃止してもまったく問題ない。教育委員会を廃止して、地方における教育の責任は首長であることを明確化すべきだ。

 もちろん、教育の政治的中立は重要だが、教育が偏重するような場合は、次の選挙で市民がそういった首長を落とせばよいのだ。責任の所在を明確にして、選挙民が選んだ政治家のもと、良い教育行政を行って欲しいものだ。

 教育委員会に関しては、2015年から新制度がスタートし、これまでの教育長と教育委員長を統合した新「教育長」を首長が直接任免するようになった。これによって、教育行政における首長の責任が明確化されたことは評価ができる。一方で、教科書採択や教職員人事などに関する執行権は教育委員会に残された。教育行政における首長の責任を明確化することに加えて、後述するように学校現場における校長の権限を強化することが学校の経営改革につながる。継続的な改革が必要だ。

何の権限もない校長では学校の経営改革は不可能だ。校長の権限を抜本的に強化せよ!

 学校において校長は経営者であるはずだが、現状の公立学校の組織では、校長には学校経営を行うための権限が与えられておらず、責任も不明確だ。

 学校改革は組織のトップである校長のリーダーシップによって可能となるものである。そのためには、経営に必要な権限を校長に与えなければならない。その上で、経営能力に秀でた優秀な人材を校長として外部から引き入れ、学校運営を行わせるべきだ。

 現在は、学校の教職員の人事権は教育委員会に与えられている。しかし、学校改革を行う環境を整備するためには、人事権を含めた組織運営に必要な権限を校長に与え、校長を学校運営の責任者と位置付けるべきだ。

 具体的には、①人事権、②財政権限、③授業カリキュラム編成権の3つは最低限、校長に与える必要がある。その上で、民間人材を含めて広く公募を行い、優秀な人材を校長にあてれば、大胆な学校改革が可能となる。

国のナショナルスタンダードを底上げせよ!

 地方における教育の責任を首長に一元化し、学校長に権限を委ねたうえで、国の責任も明確化すべきだ。学校経営や教育方法等に関しては自治体に任せる一方で、教育のナショナルスタンダードに関して国の責任をもっと強化すべきではないか。

 冒頭で述べたアメリカのブッシュ政権の落ちこぼれ防止法(No Child Left Behind Law)― NCLB(2001年)では、各州に対して教育上の達成基準を定めることと、基準に達しない生徒の成績を向上させるための対策を講じることを義務づけている。

 また、1988年の教育改革法制定まで国が教育課程基準を定めてこなかったイギリスでは、ナショナルスタンダード維持のため、教育水準局(Ofsted)が全国の学校監査を実施し、国内の学校(公立、私立ともに)の教育水準を監査、公表、指導しており、改善の進まない学校には閉校措置が取られるケースもある。

 日本も、諸外国にならって教育における国の責任と役割をより強化すべきだ。その上で、道徳教育、日本人としての文化・素養、そしてアイデンティティが養われる教育が重要だ。筆者の経験では、世界に出て活躍すればするほど、つまり国際人になればなるほど、日本人としての素養やアイデンティティが問われるのだ。

 無国籍のグローバル人材を育成するのではなくて、日本人のアイデンティティを明確に自覚させた上で世界に飛び立たせないと、世界の厳しい競争の中で丸腰で戦わせることになってしまう。特に近代史の教育をしっかりと行うことが必要となろう。さもないと、近隣諸国の人々と歴史認識に関して議論する際には、コテンパンに論破されてしまうであろう。画一的な歴史教育は不要である。それよりも、「何が正しいのか」を、様々な視点から考えさせる訓練をし、多様な意見の中で、しっかりと自らの考えをもち議論できる力を兼ね備えさせるべきであろう。そういう人材を多く輩出させたいものだ。

中学・高校においてはTOEFLを中心として英語教育の強化を!

 小学校における英語の授業は、2011年から全国の小学5、6年で「外国語活動」が必修となった。正式な教科ではなく、週1時間「音声や基本的な表現に慣れ親しませる」ことを目標として実施されている。文部科学省はこの英語授業を小学3年に前倒しする方針であるという。小学校教員に関しては、英語のスキルを求めるのは現実的ではなく、専門人員についてはコストが高いという指摘もある。次の行動49文部科学3において詳述するように、ITやインターネットを活用して教員のスキル不足を埋めることを検討すべきだろう。

 一方で、中学・高校における英語教育は、抜本的に強化すべきだ。英語による英語授業を導入するなど、実用的な英語力をつけさせる教育を行うとともに、中学、高校の英語教員に関しては、TOEFL等の外部検定試験において一定の成績を取得できることを採用および教員継続の条件とすることで、教員の実践的英語力の維持・向上に努めるべきだ。

 高校生時における短期留学や海外交流事業を奨励し、国からの財政的支援を拡充することも重要だろう。一番理想的なのは、すべての英語教育をTOEFL等の成績を中心として据えることである。大学入試をTOEFLにすれば、勤勉な日本人であればTOEFLのスコアが飛躍的に向上し、その結果、海外留学も容易になる。(大学入試のTOEFL化については行動50文部科学4において詳述)

 最後に、教育内容・方法の革新が、学校現場で効果的に実践されるかどうかは、 直接、子供の指導に当たる一人ひとりの教師の資質・能力と学校の教職員体制にかかっている。特に、今後実行される高大接続改革に対応した教育への転換を図るためにも、教師の養成・採用・研修の改革と教師が教育活動に専念できる環境の整備が重要課題となっている。

具体的には、

(1)教職生活全体を通じた育成指標の明確化等

(2)優れた人材の獲得

(3)教職課程等の改革

(4)現職研修の改革

(5)教育長の資質・能力の向上

(6)全国的な教師の育成支援拠点の整備

などの政策を重点的に推進すべきだ。

 このように、初等・中等教育の質を上げるために、是非とも、(1)大学受験を改革し、(2)教育委員会を廃止し、(3)学校長の権限を強化し、(4)ナショナルスタンダードを引き上げて、(5)TOEFLなど英語教育の強化により海外に出ていく人を増やす施策を実現してほしい。

 これらの「行動」は、BS-TBSで放映された「ニッポン未来会議―第9回 学力世界No.1を取り戻せ!ニッポンの教育」でも議論されてきた。

 まさに、「ニッポンの未来を決めるのは、あなたたちだ―!」である。

http://www.globis.jp/article/2892


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